
米価制定の歴史
2026-04-16
アメリカの小麦価格は日本米の値決めを参考に
1830年代のアメリカ西部開拓時代、中西部の穀倉地帯では小麦が大量に生産され、人の集う場所で自然に取引のための市場が形成された。市場では小麦の売買や情報交換が行われていたが、当時の穀物価格は収穫期に入ると生産者が換金目的で一斉に売りに出したため、暴落するのが常だった。一方これが端境期になると品不足で値上がりし、収穫期に比べ15倍もの高値に跳ね上がった。
こうした状況を改善しようと生産者、穀物商人、倉庫業者、製粉・製パン業者など関係者が集まり、「年間を通じ安定した価格で販売・購入できるリスクのない取引システム」について話し合った。
この結果以下のシステムが出来上がった。まずは互いに信頼できる相手を見つけ、売り手側と買い手側が収穫前に事前販売契約を結ぶ。価格は契約時に当事者同士で決め、約束の期日が来たら約束の値段で売買を履行する。これは売り手側(=生産者)にとって収穫前から販売済みとなっている状況に等しく、買い手側も暴騰の心配がない安定した価格で継続的に必要な数量の穀物が入手できたことで経営の安定に寄与した。
これは先物取引のシステムそのもので、先物の効用性は世界でも認められている。ただこれらのシステムは一対一の相対取引であったことから、現物価格の変動幅によっては約束の期日に売買が履行されない場合もあった。こうした売買の未履行を防ぐためアメリカは1848年、シカゴに取引所を設立した。これがシカゴ商品取引所(CBOT)で、違約担保のための保証金制度を導入して取引の信頼性を高め、さらに1865年、1882年、1891年と先物取引のシステム改良を行った。
この改良に当りCBOTが参考にしたものが、日本の帳合米取引(コメの先物取引)である。アメリカの取引所では日本を先物取引発祥の地として紹介しているが、実際CBOTが設立される100年以上前の1730年(享保15)、大坂堂島でコメの先物市場が誕生している。世界的にみても公設では初の先物市場であった。
以後コメの先物取引は日本国民の安定した食生活を支える重要なシステムとして機能してきたが、軍靴の足音とともにコメ先物市場も翻弄されていくことになる。
迫る軍靴の足音、国家権力によるコメ市場への干渉
大正後期から1945年の終戦まで、日本は戦争により統制色が強まっていった。まずは1921年4月、米穀法の制定で国家権力による米穀市場への干渉が始まった。同法は米価が低い場合、一定限度まで財政資金で市場からコメを買い入れて高値になったら売りに出すという趣旨で、米価政策の出発点ともなった。これが1933年に米穀統制法へ移行し、いよいよ強力化していった。こうしてついに1939年4月、米穀配給統制の発布により当時全国に19カ所あった米穀取引所と21カ所の正米市場は発展的解消のもと閉鎖され、国策会社である「日本米穀株式会社」への統合に至る。
また米穀取引所だけでなくその他の商品取引所も1937年の日中戦争勃発以後、戦時統制によってあらゆる物資の生産・配給・価格が国家による統制強化の対象となったため、綿花、綿布、生糸、乾繭、人造絹糸、雑穀、砂糖、肥料へと統制が拡大し、国内27カ所の商品取引所は最終的にすべて閉鎖されたまま終戦を迎えた。
戦後間もなく取引所創設に向け動いた在京穀物卸業者
2011年8月、コメ先物取引は東西2取引所で同時に試験上場された。西は関西商品取引所(現・堂島取引所)で東は東京穀物商品取引所(東穀取)だったが、東穀取は経営難で廃業を余儀なくされ、コメ先物は2013年2月に堂島取へ移管された。
もともと東穀取は戦時統制により自由経済の対象から外されていた穀物価格を、実勢に沿った値決めを行う目的で1952年10月の設立に至ったものである。設立に奔走したのは雑穀商・ヤミ屋・コメ屋で、東穀取に先駆けて戦後第一号の穀物取引所となり取引を開始した小樽商品取引所は雑穀の内地移出向けとして1951年のスタートだったが、これを見ての活動であった。なお小樽の取引所設立は統制撤廃後わずか3カ月での出来事だった。
当時東京では米穀卸商の「全米商連」がトップで、以下深川佐賀町にあり雑穀卸商を中心とした「協和会」、上野神田方面の前倉と称する小口卸商と乾物問屋を中心とする「商和会」、上野御徒町を拠点とする戦後の新興勢力(当時のヤミ商人グループ)が形成する「商交会」の後発3団体で、競うように穀物取引所設立に向け動いていた。
だが団体間で軋轢もあり、その調整役としてトップの全米商連中心であった山種米穀が乗り出し、話をまとめた。最も山種グループには近く実現するであろうコメの自由化が思惑にあったとされる。ただ米穀の取引所取引は1939年に閉鎖されて以来ブランクがあったため、取引所取引でいずれ取引されるコメ先物を練習する意味合いもあったといわれている。
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