
お米と農産物先物市場
― 令和の米騒動と先物取引の意義 ―
2026-05-07
| はじめに |
|---|
| 第1章 令和の米騒動 ― 米が不足する時代に入った |
| 第2章 金融論的視点 ― 先物は資本主義の最高の花 |
| 第3章 先物取引誕生の歴史 |
| 第4章 概算金・買取り・委託販売 ― 堂島と連動する必然 |
| 第5章 常識と非常識 ― 70年の空白を埋める |
| 第6章 大正米騒動の教訓 ― 鈴木商店の悲劇 |
| 結び |
| 質疑応答 |
はじめに
皆さん、こんにちは。ただいまご紹介いただきました渡辺と申します。本日は「お米と農産物先物市場」というテーマでお話しさせていただきます。
先物取引は、英語で「フューチャーズ(Futures)」と言います。世界的には産業のインフラと位置づけられており、日本での受け止め方とはかなり違います。社会主義国と言われる中国でさえ、周恩来や毛沢東が健在であった頃、計画経済下にありながらシンガポールでゴムの先物に保険をかけていました。ゴムは軍需物資であり、タイヤができなければ戦争もできない、という発想です。
かつて世界一豊かな国であるルクセンブルクの大使と話した際、私が「フューチャーズエクスチェンジに関わっている」と伝えると、「コモディティか」と返されました。海外では商品先物は尊敬される仕事です。先物取引を上手に使いこなす国こそが豊かになる、ということを改めて感じた経験です。
そして覚えておいていただきたいのは、先物取引は日本で発明された仕組みだということです。享保の改革の前後、徳川吉宗の時代、その下で仕組みを作り動かしたのが江戸南町奉行の大岡越前守です。奉行というと警察や裁判のイメージが強いのですが、江戸時代の町奉行は、いわば東京都知事と経済産業大臣と農林水産大臣を兼ねるような存在でした。1730年、世界で最初の先物取引が大坂・堂島で認可され始まっています。シカゴ取引所が始まるのは、堂島に遅れること118年後、約120年後です。シカゴへ行くと、農産物先物取引の代表として「Osaka Rice Exchange」あるいは「Dojima Exchange」という言葉が今も用いられるほど、世界的に重要な発明として尊敬されています。経済・産業のインフラだということを、まず押さえておいてください。
本日お話しする内容は三つです。第一に、令和の米騒動はなぜ起こり、なぜ収拾できなかったのか。第二に、先物取引誕生の歴史。第三に、米の先物取引は昭和17年(1942年)の食糧管理法によって停止されるまで脈々と続いてきたものの、統制経済に入って以来停止され、復活したのは72年後であったという経緯と、その間に失われたもの。この三つです。
映画『かくも長き不在』は、記憶喪失の男性が16年後に昔の恋人と再会する物語ですが、16年でも「かくも長き不在」と言うほどです。米の先物取引は70年も止まっていた。その間にノウハウが失われ、理解度が下がり、非常識なことが起こってきた、というのが私の結論です。
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